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・・・あなたへのメッセージ

礼拝メッセージ 7/9 2017

『キリストにある慰めの使者』

   Ⅱコリント1:1-11 【口語訳】


 1:1 神の御旨によりキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟テモテとから、

  コリントにある神の教会、ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ。


 1:2 わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

 

 1:3 ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。

 

 1:4 神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。


 1:5 それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、キリストによって満ちあふれているからである。


 1:6 わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救とのためであり、慰めを受けるなら、それはあなたがたの慰めのためであって、その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となるのである。

 

 1:7 だから、あなたがたに対していだいているわたしたちの望みは、動くことがない。あなたがたが、わたしたちと共に苦難にあずかっているように、慰めにも共にあずかっていることを知っているからである。

 

 1:8 兄弟たちよ。わたしたちがアジヤで会った患難を、知らずにいてもらいたくない。わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みをさえ失ってしまい、

 1:9 心のうちで死を覚悟し、自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらせて下さる神を頼みとするに至った。

 1:10 神はこのような死の危険から、わたしたちを救い出して下さった、また救い出して下さるであろう。わたしたちは、神が今後も救い出して下さることを望んでいる。


 1:11 そして、あなたがたもまた祈をもって、ともどもに、わたしたちを助けてくれるであろう。これは多くの人々の願いによりわたしたちに賜わった恵みについて、多くの人が感謝をささげるようになるためである。

 あなたにとっての頼みの綱は何ですか? それはどんな時にも切れずに耐えますか?

 使徒パウロは様々な患難に出会いました。ここで直接的に述べられている患難とは、キリストを救主と信じ、キリストを伝えたために受けた迫害の患難を指します。ですが、豪雨水害という災害を受けた後の今日は、大きく「患難」の言葉を受けとめ見ていきましょう。

 Ⅰわたしたちは神により慰められます。

“神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、”1:4

 父なる神は、すべての人を愛しておられます。すべての人がこの手紙を書いた使徒パウロのように「いかなる患難の中にいる時でも」慰められてほしいと神は願っておられます。しかし、現状は…。残念ながらすべての人が父なる神様に心を開いているわけではありません。使徒パウロたちのようにいかなる時も神様とつながり、心開いているなら、いかなる患難の中にあっても神の言葉が聞こえ、神の思いを感じ、慰められ、励まされます。

 数百年に一度の大地震が起き、数十年に一度の大雨が毎年のように全国の何処かで降り、いつ日本列島の火山が爆発してもおかしくない活動期に入っているとも言われている昨今。まるで聖書に記された終わりの時代、患難時代に突入したかのような様相です。このような時代に生きるわたしたちこそ、父なる神の慰めを必要としています。

“わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神”1:3です。

 Ⅱわたしたちは復活の主を頼みとします。

“兄弟たちよ。わたしたちがアジヤで会った患難を、知らずにいてもらいたくない。わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みをさえ失ってしまい、心のうちで死を覚悟し、自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらせて下さる神を頼みとするに至った。”1:8-9

 様々な苦難と迫害にあい、ついには死を覚悟しなければならないこともあった使徒パウロ。そのとき彼は何を思ったのでしょうか。彼が頼みとしたのは、自分自身ではなく、終わりの日にキリストを信じるものをよみがえらせてくださる神でした。死人をよみがえらせる力のある神は、どのような状況をも覆すことができる力の神への信頼。死人をよみがえらせるという、キリストを信じる者を、最後まで面倒見てくださる愛の神への信頼。たとえ、そこで肉体の命を失ったとしても死人をよみがえらせる神によって自分もまた、来るべき日よみがえらせていただき約束の天国へ導かれる。希望の神への信頼。わたしたちには、たとえ生きる希望はなくてもよみがえる希望はある。それは絶対にきれない頼みの綱です。地上のことだけこの世のことだけを頼みとするなら、必ず切れます。しかし、神はキリストの十字架と復活を通してあなたに復活と御国の約束をしてくださいます。

 Ⅲわたしたちはキリストにあって患難の人々を慰めます。

“また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。”1:4

 わたしたちは神より慰めを受けます。だからこそ私たちは、自分が与えられた神からの慰めの経験とぬくもりを持って、患難の中にある人々を慰めます。

 わたしたちは時に大きな患難を受けた人を前に尻込みします。どう言葉をかければよいかわからいこともあります。自分は経験をしたこともない苦しみを、その方が背負われておられることだけはわかり、無神経な言葉が逆にその人を苦しめないかとも考えます。しかし神は言われます。あらゆる患難の中にある人々を慰めることができると。

“そして、あなたがたもまた祈をもって、ともどもに、わたしたちを助けてくれるであろう。”1:11 まず、その方々のために祈りましょう。私たちの祈りは天に届くのです。心底祈ります。祈れないそれらの方々の分、祈ります。そして、あなたを慰めてくださるキリストと共に会いに行きましょう。言葉は、祈っていると必ず与えられます。本気で祈っても言葉が与えられない場合は、言葉がいらない時です。ただ一緒にいてあげて下さい。キリストがそうしてくださったようにその方々と共にいてあげて下さい。キリストと共にキリストのなされるようにそこに慰めがあらわされます。

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