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・・・あなたへのメッセージ

今週の礼拝メッセージ 7/30 2017

『それが何になりましょう』

   ヨハネ 6:1-14 【口語訳】

 

 6:1 そののち、イエスはガリラヤの海、すなわち、テベリヤ湖の向こう岸へ渡られた。

 

 6:2 すると、大ぜいの群衆がイエスについてきた。病人たちになさっていたしるしを見たからである。

 

 6:3 イエスは山に登って、弟子たちと一緒にそこで座につかれた。

 

 6:4 時に、ユダヤ人の祭である過越が間近になっていた。

 

 6:5 イエスは目をあげ、大ぜいの群衆が自分の方に集まって来るのを見て、ピリポに言われた、「どこからパンを買ってきて、

  この人々に食べさせようか」。
 6:6 これはピリポをためそうとして言われたのであって、ご自分ではしようとすることを、よくご承知であった。
 

 6:7 すると、ピリポはイエスに答えた、「二百デナリのパンがあっても、めいめいが少しずついただくにも足りますまい」。

 

 6:8 弟子のひとり、シモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った、

 

 6:9 「ここに、大麦のパン五つと、さかな二ひきとを持っている子供がいます。しかし、こんなに大ぜいの人では、

       それが何になりましょう」。

 

 6:10 イエスは「人々をすわらせなさい」と言われた。その場所には草が多かった。そこにすわった男の数は五千人ほどであった。

 

 6:11 そこで、イエスはパンを取り、感謝してから、すわっている人々に分け与え、また、さかなをも同様にして、

         彼らの望むだけ分け与えられた。

 

 6:12 人々がじゅうぶんに食べたのち、イエスは弟子たちに言われた、「少しでもむだにならないように、パンくずのあまりを集めなさ              い」。

 

 6:13 そこで彼らが集めると、五つの大麦のパンを食べて残ったパンくずは、十二のかごにいっぱいになった。

 

 6:14 人々はイエスのなさったこのしるしを見て、「ほんとうに、この人こそ世にきたるべき預言者である」と言った。

​牧師 竹崎 光則

 あなたは神様を小さく見ていませんか? 自分自身のことも小さく見ていませんか?

 イエス様には3つの願いがありました。

 

Ⅰイエス様は、人々の必要を満たしたいと願われました。

“イエスは目をあげ、大ぜいの群衆が自分の方に集まって来るのを見て、ピリポに言われた、「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか」。”6:5

 イエス様は、ご自分のもとに集まってくる人々を満たしたいと願っておられます。それは物理的にも精神的にも生活的にも霊的にもすべてにおいてあなたの必要を満たしたいと願っておられます。イエス様は羊飼いであり、私たちは牧の羊です。よい羊飼いは羊のために命を捨てるとも言われました。そのような羊飼いです。羊が飢えているのを黙って見ておられるようなお方ではありません。羊が困っているのに無関心なお方ではありません。イエス様はあなたのすべての必要を満たしたいと願っておられます。そこで、大切なことはひとつ。イエス様のもとに「集まって来る」ことです。イエス様から離れてはなりません。イエス様から離れた所に恵みはありません。私たちに必要なことは、一つイエス様の方に集まることです。そのときあなたの必要をイエス様が満たしてくださいます。もし、あなたが自分の必要が満たされていないと感じるなら、必要を声高々と求めることよりも、まず自分がイエス様の方に集まっているのかを確かめてみましょう。あなたは聖書を読みイエス様の方に向かうことができます。あなたは祈ることでイエス様の方に向かいます。あなたは礼拝に出席してイエス様のもとに集まることができます。あなたは心の凝りについて悔い改めることでイエス様のもとに行くことができます。集うあなたの必要を満たしたいとイエス様は願っておられます。

Ⅱイエス様は、献げられたものを用いたいと願われました。

“「ここに、大麦のパン五つと、さかな二ひきとを持っている子供がいます。しかし、こんなに大ぜいの人では、それが何になりましょう」。”6:9

 5000人の給食の奇跡は、ただ人々の必要を満たす(神の愛)だけではなく、弟子を整えるという目的をイエス様は持っておられました。イエス様は、何もないところからでもパンを創造することができるお方です。しかし、あえて弟子たちにパンを用意せようとします。女性や子供も合わせると総数1万人もの人々を満たすパンを用意することは、経済的に売り場という現実的に無理なことでした。まずその現実を弟子たちに認識させます。自分たちではどうしようもないという現実です。御元に来たものは子どもの持っていたパン5つと魚2匹でした。それを見た人々も持ってきたアンデレもまさに「それが何になりましょう」というのが本音です。1万人に対して5つのパンと2匹の魚です。1枚のパンを2000等分しなければなりません。それが何になりましょうです。しかし、イエス様の御手に委ねられるなら、それが神のみわざとなるのです。わたしたちは現実と自分をすぐに見比べます。そしてできる、できないと考えます。おおよその場合、この時と同じように現実があまりに大きすぎて、自分があまりに小さく少なすぎて太刀打ちできないように思えます。あなたに必要なことは、尻込みではなくイエス様の御手にささげることです。あなたの持っているものを、あなた自身をイエス様に捧げることです。ただイエス様の好きに使ってくださいとお委ねする時、イエス様は、あなたが考えもしなかったような神のご計画にあなたを用いてくださいます。あなたに必要なことは、自分を数えることではありません。ただイエス様の手にのることです。

Ⅲイエス様は、少しでもむだにならないように願われました。

 イエス様の御手により5つのパンと2匹の魚で1万人もの人々が満たされました。ことは終わったかのように思われた時、イエス様がこう言われたのです。

“少しでもむだにならないように、パンくずのあまりを集めなさい”6:12

 イエス様は捧げられたものを決した無駄になれません。最後までご自分のものとして責任を持って暖かく扱ってくださいます。イエス様に自分を委ねたらどうなるかわからない。いいえ、わかります。イエス様はささげられたあなたを最後まで面倒をみてくださいます。

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