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・・・あなたへのメッセージ

礼拝メッセージ 7/23 2017

『天に宝をたくわえる』

   マタイ6:19-24 【口語訳】



6:19 あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、

   また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。
 

6:20 むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。

6:21 あなたの宝のある所には、心もあるからである。

 

6:22 目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。

 

6:23 しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろう。

 

6:24 だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからで           ある。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。
 6:25 それだから、

 あなたは何を頼りに生きていますか? 

 

 Ⅰわたしは天に視線を向けます。

 “天に、宝をたくわえなさい。”6:20

 あなたが頼りにしているものにあなたの視線は向かっています。あなたが見続けているものにあなたは支配されてしまいます。わたしたちは、自分に自信を持ちたい、自分の存在する意味を確かめたい、認められたいというある種の不安のために、人の目を気にします。人の目に支配されたわたしたちは、見せかけの信仰や偽善に陥ってしまいます。主イエス様は、天の父に祈れと言われました。あなたを創造されたのは、主なる神様です。あなたは自分の存在する意味を他に求めても見つかりません。自分で自分を造り上げようとしても、少しはうまくいくようでも、もろくそれは壊れることになります。あなたをあなたとして完成できるのは、あなたを造られた主なる神様だけです。だから、イエス様はあなたに主の祈りを教えてくださっています。私たちが向くべき方向は、向けるべき視線は、天にいますわたしたちの父です。“だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。”6:9

 宝をたくわえる天とは、父なる神様がおられる天です。父なる神様の前にと表現することもできます。あなたを造り、あなたをキリストによって贖い救い、あなたを導き、あなたを完成させることができる父なる神様の前にあなたの宝を蓄えなさいという意味です。

 

 Ⅱわたしは天に失われない宝を蓄えます。

“あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。”6:19-20

 地上のものはすべて失われます。年月とともに移り変わるもの。紛失するもの。壊れるもの。朽ちるもの。奪われるもの。どれだけ頑丈で、立派で、大きくとも地上のものはすべて時と場合によって失せてしまいます。もし、あなたが地上にあるもの、地上に置くもののために生きるなら、それが失われた瞬間、あなたの人生も失われることになります。よしんばあなたが生きている時にそれらが失われなかったとしても、あなたはそれを死後には持っていくことはできません。どれだけ固執したとしても、死の瞬間あなたはそれらを手放さざるお得ないのです。

 家財道具を買うな、冷蔵庫も洗濯機も置くなといっているわけではありません。生活必需品と宝とは違います。あなたがそれに心奪われているのであれば宝と言えますが、大抵の人は、冷蔵庫のために生きませんし、タンスのために人生を燃やすことはありません。必要なものあれば便利なものですが、宝ではないからです。けれど一つ一つは宝でなかったとしても、それらが集まった環境やスタイルが宝となる場合があります。この生活水準、このライフスタイルといった具合に、それを維持するため、そのようになるために働き蓄える。残念ですが、すべては失われる時がきます。

 イエス様は、あなたに朽ちないもの失われないものをたくわえる生き方を教えてくださっています。天に宝を蓄える生き方です。父なる神様の前に蓄えられる宝は決して失われず、朽ちず、奪われることがありません。では、天に宝をたくわえるとのどのようなことでしょうか。

 

 Ⅲわたしは神様がのぞむ生き方を選びます。

 ①父なる神様がどれほどすばらしいかをあらわすためにお金を用いるとき天に宝をたくわえます。父なる神様の心が地上に実現するためにお金を用いることです。人を愛してくださっている父なる神様の心が実現するため、家族のためにお金を用いることができます。必要な人に必要なプレゼントをすることもできます。貧困に困った方々のためにささげることもできます。人々の救いのために存在する教会や会堂のために献金することもできます。神様の愛が表される場としてランチミニストリーのために献金することもできます。傷んでいる人々のために九キ災やサンタプロジェクトのために募金することもできます。要は、そのお金を誰のために使うかです。

 ②他者のために生きるとき天に宝を蓄えます。自分の利益ではなく、他者が助かるための生きるとき、天に宝が蓄えられます。

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